現代思想の地平 放送大学(講師 石田ヒデタカ氏 5/15) ジャックラカン 欲望とは何か?

現代思想の地平 放送大学(講師 石田ヒデタカ氏 5/15) ジャックラカン 欲望とは何か?

本日は欲望とは何かです。

講義は放送を聴きながらノートに取ったので、メモをエクセルに打ち直してます・・・
メモの内容をそのまま公開してもよさそうですが、読みやすくするためにコンパクトにします。感想も交えてね。
<論点>
欲望と意味

~したい。~ほしい。~いいのになぁ これが一般的な欲望です。
これを考えてしまったのがジャックラカンという方です。

なんだか20世紀にはいると、欲望は本能論から欲望の意味の問題へ推移していきました。
ジグムントフロイトによってね。(ヒステリー トーキングキュア)

例えば日本は1980年代後半になると消費社会になりました。
そこでコピーライターの糸井重里氏はこんなキャッチコピーを西武百貨店から出しました。

ほしいものがほしいわ
ほしいものはいつでもあるんだけどない
ないんだけどある
ほんとうにほしいものがあるだけでうれしい
それだけでうれしい

すべてひらがなのポエムチックですね。文化の前面に躍り出ました。
日本のバブルの絶頂期の思想的なテーゼだといってもいいでしょう。

ほしいものというのはソシュールはシニフィアンと定義したそうです。

論理的にまとめられないので、メモをそのまま書きます。
順不同
ラカンの図式(欲望の理論)
シニフィアンを通してしか自己の欲望をあらわすことはできない。他者を通さないと
他のシニフィアン(メタファー)とセットで成立
糸井さんのコピーはほしいものの意味は常に消えかかっている。
アリュージョン・暗示しているといえます。
うれしいと思う喜びはシニフィアン全体がないとわからないものだ。
様々なしるしは心理の代理(メタファー)
他のすべてのネットワークの働きが必要
~したいというのは産業そのもの(メディア化された世界) 無限の欲望のゲームといえます。
人間の欲望は他者の欲望である。
私たちの現代社会の活動は人間の欲望を演出させている。
他者の場から意味を受けている。
私という主体は私だけで決めることはできない。要するに自分のことを語るのに
言葉自体は私が作り出したものではないから。
シニフィアンは他のシニフィアンを代理する。

例えば女性がショッピングをしているときに、ウィンドウに並べられているパンプスを欲しくなりました。
ところが、それを実際に手にとってみてみると、なんだか欲望の意味がかわるのです。
きらきらしていたものがなんだか違います。
常に他のシニフィアン(構造的な他者)が付きまとっていますね。
あんなに欲しかったのに実際に手にしてみるとなんか違うなって感覚です。
それを糸井さんはうまく表現したのです。悦楽を表現している。

ロランバルトにおけるコノテーションの図式。 シェークスピアのオセロで白いハンカチは
妻の不貞の記号となります。これが実際のものの一時的な働きで、二次的の記号のレベルとなります。
シニフィアンは常にシーンを持つ。

プロ野球でいえば、好きな球団が勝つことを望んでもそれは常にあらゆる他者(物)があってこそ
喜びなのである。相手が強いほど倒したときに喜びが大きくなるわけである。上司のお気に入りの
球団が負けるものなら、ほくそ笑むなど・・・
憧れのいけてるグループの彼と実際に付き合ってみるとたいしたこと無いとか・・・ 

私も皆さんに欲望の動機付けをして、産業活動を活性化させるお手伝いができればなあと思いました。
日常においてどのようにラカンの図式・欲望のロジックが働いてるのか皆さんも
考えてみてはいかがでしょうか? 自分の事業や自己判断の推敲に役に立つのかもしれませんね。











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